話さないということ
2014.07.10
先日ちょっと気になることがあった。姪や妹とバラエティー番組を観ていた時のこと、姪はその番組を機関銃のごとく批評し続けながら見ていた(妹も時折発言 をしていた)が、突然「〇〇(私の呼び名)ってなんで喋らないの?」と聞いてきた。その疑問をそっくりお返ししたい。何でいちいち口に出すのか?しかし、 彼女からすると”どうして黙って観ていられるのか理解できない”ということらしい。挙句に「何も考えていないの?」ときた。すると、即座に妹が「何も考え ていないんだよ」と答えていた。《代わりに答えてくれてどうもありがとう、どうやら私の頭の中はカラッポらしい。たとえどんな無駄話でも、発言をしない人 は意思も考えもないということなのか?》そのやり取りに私は心底驚いたのである。 そう、私はあまり人と話すのが得意ではない、というより話すことがな い。しかし!だからといって決して何も考えていない訳ではない。実は物心ついたころからこの違和感はずっとあった、小学生時代同級生の女の子が連れ立って トイレに行くのが本当に不思議だった。休み時間に何人かで楽しそうにおしゃべりしているのも全く理解できなかった、そんなに何を話すことがあるのだろ う…?これは常に私の疑問のトップをキープしていた。さらに遡ると私が0歳の頃、私の子守は祖父の役目だった、というより祖父が買って出てくれていたよう だ。何故か?理由は私が可愛かったからでは決してない。何より酒を愛していた祖父は私を背中におぶって近所の酒屋に行くのである。そこで似たようなお仲間 と一杯やるのが楽しみだったのだ。何しろ私は祖父がふざけて人形をおんぶしているのかと隣の人が覗き込むくらい、声を出すこともなく泣きも笑いもしなかっ たらしい。祖父にしてみればこれ以上ない免罪符、立派に家族の役に立って、そのうえお酒が飲める一石二鳥の役回りだったのだ。ことほど左様に私の口数の少 なさは年季が入っているのであるし、私の意思を超えたところにあるといっても過言ではない。勿論仕事やサークルなど、自分の立場がはっきりしている場合は 話に困ることはないし、発言もきちんとする。苦手なのは意味のない話なのだ。知り合いに誰にでも親しく声をかける、という人がいる。電車で隣り合った見ず 知らずの人に話かけて仲良くなるというのだ。素晴らしい能力である。別に欲しくはないけれど。千原せいじかその人か、というくらいスゴイと思う。理解の範 囲を超えている、という意味で宇宙人に近い。